第七官界彷徨記

文科系アラサー、エンジニアになるためドイツでまた学生はじめました。

能動態ニンゲンとケチ根性

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最近気づいたことに、「自分が主体的にやっている」と考えると色々うまく処理できるようだ、ということがある。

 

私は昔から「損したくない」という気持ちが強い。金銭などではほとんどの人がそうだろうが、友人関係などで「自分の方が相手を好き」というような場合に、「相手が私の好意に応えてくれなければ私は損である」と思ってしまうような精神的ケチなのだ。

ずっと精神的にケチなのを改善したいと思っていて、寛大になる方法をネットで調べたことがあるのだが、「『損してもいい』と声に出して何度も言う」、というような方法が書いてあった。

これはどうも上手くいかなかった。どうしても「損をする」という言葉に必要以上に意識が向いてしまい、ケチ根性が刺激される。

そこで、ケチ根性が発動しそうになったとき、「私は自分がしたいから親切にしている」「私は寛大であることを望んでいる」と考えるようにしてみた。そうすると、「損を我慢する」というような辛いことではなく、「自分のため」になるのでずいぶんやりやすくなった。

私は筋金入りの「能動態ニンゲン」だった。何でも、「やらされている」と思うと一気にやる気がゼロになる。特に、納得のいかないルールに「ルールだから」という理由で従わされると、「何とかして反抗してやる」と受動行動を能動行動で打ち消そうとするかのような反応になってしまう。

これ自体はあまりに極端でなければそれなりそういう人は居ると思うのだが、集団の和や規律が大切な文化ではストレスが多いよなー…。

忍耐力というものが余りに欠けているので、少しは補わなければいけないのだが、なるべく理不尽なルールの押し付けが少ない文化圏に移動したいと思う(なるべく早く)。