第七官界彷徨記

文科系アラサー、エンジニアになるためドイツでまた学生はじめました。

「政治・イデオロギー・宗教」を書くなら炎上は自己責任か

これはやらない方がいい,ということをわきまえていれば炎上は起きない。そういった情報をもっとみんなで共有するといいんじゃないか。例えば政治について語る,イデオロギー,宗教について語る,アイドルをけなす,つまり誰かが信奉している人を批判するとか。そういうことをしちゃいけいないというわけじゃなく,そういうことをする自由はあるんだけど,やるのなら覚悟したほうがいい。覚悟して戦う強さを自分が持っていると思えば,書けばいい。そうではなく自分が傷つきたくない,批判されたくないという人は,今言ったようないくつかのテーマを避けて,自分の好きなことや専門性,読んだ本の感想やごく普通の日記を書けば,僕は炎上というのはほとんどないと感じています。

 

(3/6)特別対談 - 梅田望夫×まつもとゆきひろ対談 第2弾「ネットのエネルギーと個の幸福」(前編):ITpro

 

うーん。昔の記事なので今更言及しても…とも思ったんですけど、当時から現在まで特にここの所の認識が変わる状況ではないだろうと思ったので書きます。

 

これは梅田望夫さんというIT企業経営コンサルタントの人とRuby開発者のまつもとゆきひろさんの対談のなかで、ネットの力をどう活かすかという話でネットの力がネガティブに出ちゃった例として「炎上」の話をしている部分です。

 

こういう言説って「弱い奴は黙ってれば」って風に聞こえてしまうんですよね。

「『政治・イデオロギー・宗教』は炎上トピックだからやるんなら自己責任で」って、「政治・イデオロギー・宗教」を議論したい人=「自分の意見を他人にゴリ押ししたい人」って思えば「まあそうでしょう」って感じです。

 

しかし、「政治・イデオロギー・宗教」のトピックで何か訴えたいことがある人の中には「政治・イデオロギー・宗教」によって危険にさらされている、追い詰められているという人がいますよね。

 

「自己責任」的な話をするときには、対象のなかで一番困難な状況の人はどういう状況かを考えて、その人たちに言っても問題ないと考えたものを言ってほしい。

 

・シングルマザーで元夫からは養育費は支払われず、夜勤ありの仕事で働いているが子供を預けられる安全なサービスが無い。社会福祉を改善してほしい。

・ゲイであることで異常者の烙印を押され、その事実が公的記録に一生記載される。偏見を止めるべきだ。

・歩いていたら、「X国人を殺せ!」というデモ集団と出くわした。

 

こういう人たちに「覚悟の上でやれば」って言っていいんでしょうか。

 

「関係ない文脈だから仕方ない」?、「すべてのことに配慮はできない」?

それなら、「尊敬すべき態度ではない」という批判に耐えてください。

 

それって、自分が危険にさらされていない人だから言えることじゃないですか。辛くて追い詰められている人は精神的余裕が無いと思います。そういう人が声を上げるのがどんなに困難か、普通の精神状態の人でもちょっとショックを受けてしまうことに耐えられるのか、少し配慮してもよいのではないでしょうか。現実にはどんな事情があろうと(むしろ困難な状況の人ほど)酷い中傷や差別に晒されるのだからこそ、少しでも困っている人が声を上げやすいように配慮するべきではないでしょうか。